生まれた時から音楽の才能教育をスタートすることによって、
どの子供にも音楽的感覚、音楽的能力を育てることが可能であること、
乳幼児期の素晴らしい人間の順応能力の発揮の問題、
幼少時代の順応能力のいかに優れたものであるかについて深く反省しなければならないこと、
限り知らぬ子供に与えられた人間としての教育の可能性、
幼少時代にいかに精神薄弱者の姿へまでも子供たちは能力の本質を損なわれるものかということ、
十人の乳児を十人供精神薄弱者のような人間に育てることが可能であるとともに、
その反対も可能であること、
耳が良いからこそ音楽的音痴となること、
などについて実証し実践してきたわけです。
地上の総ての子供は、
皆人間として高い教育の可能性を与えられて生まれてきていることを実証しているのであり、
また同時に、才能は生まれつきのものではなく、
生まれて後に育て伸ばされるものであるということを実証しているのです。
「総べての日本の子供たちが、日本語を立派に話している」
この事実は、
母国語を自由に話す世界の総べての子供達は、
実に皆健全な頭脳の持ち主であり、
育て損なわない限り皆立派に人間としての高い能力へ育つものであるということを
実証する一つの例だとして考えていただきたいのです。
音楽だけではないのです。
教育は生まれた日から始まります。
そして育て損なうのも生まれた日からです。
人類にとって最も需要なことは、
すべての子供を本当に美しい心の、好ましい能力の人間に育てることでしょう。
私は皆様の人類に対する尊い使命を持ったお仕事に対して、
心からの尊敬を捧げ、その立派な成果を祈ってやみません。