音楽院時代の恩師

長らく更新が空いてしましました。
世間はまだまだコロナウィルス感染の状況が収まらず様々なところで制約を強いられた生活が続いています。そんな中でも音楽という心の糧がそばにあり、不安な日常に平穏な時間をもたらしてくれています。

先月の半ば、私が音楽院時代に学ばせていただいた恩師の一人、鈴木裕子先生がお亡くなりになりました。詳しくはスズキ・メソードホームページの「マンスリースズキ」からご覧いただくとして、鈴木裕子先生に触れられた私の音楽院時代の思い出を少し記したいと思います。

私が音楽院に入学したのは2003年4月、その入りたての私に教授陣の面々からお言葉をいただき、その中のおひとりに柔らかくキラキラした目で私に激励のお言葉をかけてくださったのが裕子先生でした。
その後、スズキ・メソード創始者の鈴木鎮一先生の姪御さんということを知り、コンサート後のティータイムや雑談時に折に触れて鈴木鎮一先生のお話をされ、直接会ったことのない鎮一先生の存在を裕子先生を通じてより実感しました。

当時音楽院にはヴァイオリン科、チェロ科、フルート科、ピアノ科の4つの科があり、私が入学したヴァイオリン科には、教本以外のヴァイオリンの曲とエチュードと弦楽を受け持つ教授の豊田耕兒先生、教本を指導する鈴木裕子先生と正岡紘子先生(どちらもひろこ先生)、副科ピアノを受け持つ石川咲子先生(鈴木裕子先生の娘)、その他複数の先生方(この場では割愛させていただきます)がそれぞれ講義を受け持ってくださっていました。

私の教本指導の担当は正岡先生で、裕子先生には直接教本を習っていませんが、教本の第2バイオリンやアンサンブルをする際はお互いのクラスの中から同学年の生徒が選ばれて違うクラスにレッスンを受けに行くこともありました。そんな中で私も第2バイオリンとして裕子先生のレッスンを受ける機会が訪れレッスンで先生の音に触れた時、柔らかくも芯のある音で美しいヴィブラートが特徴の品のある音でした。鎮一先生の教本演奏CDのような音で懐かしさを感じました(入学前までそのCDとずうっと一緒におけいこしてましたからね)。

音楽院での思い出の中で一番裕子先生の印象に残っているのは、私の教本担当の正岡先生と鈴木裕子先生の協演です。曲はモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲。お二人の年齢を足すと…軽く120は超えておりましたが、円熟の音というかお二人の今までの人生をそのまま演奏に現したような言葉では言い表せない感動でした。ヴァイオリンは正岡先生が、ヴィオラは裕子先生が担当され、正岡先生の深い中にも慈愛あるやわらかいヴァイオリンの音色に、裕子先生のお人柄あふれるヴィオラの深い優しい音色が合わさり…。良い時に学生でいられたと思いました。

その後も私の曲の発表後にいつも励ましの言葉と応援をしてくださり、不出来な私でしたがそのようなお言葉かけにいつも力をいただいていました。

音楽院卒業後も、指導者研究会や夏期学校などでお会いした際に「どう?元気?」と、いつものニコニコ笑顔でお声かけをしてくださったそのお顔を今も忘れません。
お亡くなりになって寂しいですが、私の心の中に裕子先生のニコニコ笑顔がいつもいらっしゃると思うととても心強くいられます。

脈々と続くスズキ・メソードの道、遥か先を歩いた尊敬する裕子先生の歩まれた道を私も歩んでまいります。裕子先生、ありがとうございました。これからもお見守りください。