本年も当バイオリン教室はスズキ・メソードの理念のもと、年齢の壁を越えたつながりを持ち、毎日のヴァイオリンのおけいこを通して上達をともに喜び、それを基に育った能力を社会に生かす力を養い、立派な人間形成を目指して活動していきます。宜しくお願い致します。

6月から7月にかけて大府市の北山小学校にて4回にわたり行われたヴァイオリン体験授業が無事終わりました。
中日新聞に記事が掲載され、知多メディアスやNHK東海版にて放映されました。
以下リンクより記事と放映の様子がご覧いただけます。
生まれた時から音楽の才能教育をスタートすることによって、
どの子供にも音楽的感覚、音楽的能力を育てることが可能であること、
乳幼児期の素晴らしい人間の順応能力の発揮の問題、
幼少時代の順応能力のいかに優れたものであるかについて深く反省しなければならないこと、
限り知らぬ子供に与えられた人間としての教育の可能性、
幼少時代にいかに精神薄弱者の姿へまでも子供たちは能力の本質を損なわれるものかということ、
十人の乳児を十人供精神薄弱者のような人間に育てることが可能であるとともに、
その反対も可能であること、
耳が良いからこそ音楽的音痴となること、
などについて実証し実践してきたわけです。
地上の総ての子供は、
皆人間として高い教育の可能性を与えられて生まれてきていることを実証しているのであり、
また同時に、才能は生まれつきのものではなく、
生まれて後に育て伸ばされるものであるということを実証しているのです。
「総べての日本の子供たちが、日本語を立派に話している」
この事実は、
母国語を自由に話す世界の総べての子供達は、
実に皆健全な頭脳の持ち主であり、
育て損なわない限り皆立派に人間としての高い能力へ育つものであるということを
実証する一つの例だとして考えていただきたいのです。
音楽だけではないのです。
教育は生まれた日から始まります。
そして育て損なうのも生まれた日からです。
人類にとって最も需要なことは、
すべての子供を本当に美しい心の、好ましい能力の人間に育てることでしょう。
私は皆様の人類に対する尊い使命を持ったお仕事に対して、
心からの尊敬を捧げ、その立派な成果を祈ってやみません。
快晴の中、半田運動公園にある屋外の屋根付きステージで伊藤クラスと大野クラスの合同合奏会が行われました。
この日はお昼にかけてだんだんと気温が高くなり夏日となりましたが、午前中の日陰のなかヴァイオリンの音を響かせるのはとても気持ちの良い時間でした。
ステージ横には木や池があり、鳥やウシガエル⁉もヴァイオリンの音に共鳴してか一緒に鳴いていました。
次回は秋に開催予定です。
長らく更新が空いてしましました。
世間はまだまだコロナウィルス感染の状況が収まらず様々なところで制約を強いられた生活が続いています。そんな中でも音楽という心の糧がそばにあり、不安な日常に平穏な時間をもたらしてくれています。
先月の半ば、私が音楽院時代に学ばせていただいた恩師の一人、鈴木裕子先生がお亡くなりになりました。詳しくはスズキ・メソードホームページの「マンスリースズキ」からご覧いただくとして、鈴木裕子先生に触れられた私の音楽院時代の思い出を少し記したいと思います。
私が音楽院に入学したのは2003年4月、その入りたての私に教授陣の面々からお言葉をいただき、その中のおひとりに柔らかくキラキラした目で私に激励のお言葉をかけてくださったのが裕子先生でした。
その後、スズキ・メソード創始者の鈴木鎮一先生の姪御さんということを知り、コンサート後のティータイムや雑談時に折に触れて鈴木鎮一先生のお話をされ、直接会ったことのない鎮一先生の存在を裕子先生を通じてより実感しました。
当時音楽院にはヴァイオリン科、チェロ科、フルート科、ピアノ科の4つの科があり、私が入学したヴァイオリン科には、教本以外のヴァイオリンの曲とエチュードと弦楽を受け持つ教授の豊田耕兒先生、教本を指導する鈴木裕子先生と正岡紘子先生(どちらもひろこ先生)、副科ピアノを受け持つ石川咲子先生(鈴木裕子先生の娘)、その他複数の先生方(この場では割愛させていただきます)がそれぞれ講義を受け持ってくださっていました。
私の教本指導の担当は正岡先生で、裕子先生には直接教本を習っていませんが、教本の第2バイオリンやアンサンブルをする際はお互いのクラスの中から同学年の生徒が選ばれて違うクラスにレッスンを受けに行くこともありました。そんな中で私も第2バイオリンとして裕子先生のレッスンを受ける機会が訪れレッスンで先生の音に触れた時、柔らかくも芯のある音で美しいヴィブラートが特徴の品のある音でした。鎮一先生の教本演奏CDのような音で懐かしさを感じました(入学前までそのCDとずうっと一緒におけいこしてましたからね)。
音楽院での思い出の中で一番裕子先生の印象に残っているのは、私の教本担当の正岡先生と鈴木裕子先生の協演です。曲はモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲。お二人の年齢を足すと…軽く120は超えておりましたが、円熟の音というかお二人の今までの人生をそのまま演奏に現したような言葉では言い表せない感動でした。ヴァイオリンは正岡先生が、ヴィオラは裕子先生が担当され、正岡先生の深い中にも慈愛あるやわらかいヴァイオリンの音色に、裕子先生のお人柄あふれるヴィオラの深い優しい音色が合わさり…。良い時に学生でいられたと思いました。
その後も私の曲の発表後にいつも励ましの言葉と応援をしてくださり、不出来な私でしたがそのようなお言葉かけにいつも力をいただいていました。
音楽院卒業後も、指導者研究会や夏期学校などでお会いした際に「どう?元気?」と、いつものニコニコ笑顔でお声かけをしてくださったそのお顔を今も忘れません。
お亡くなりになって寂しいですが、私の心の中に裕子先生のニコニコ笑顔がいつもいらっしゃると思うととても心強くいられます。
脈々と続くスズキ・メソードの道、遥か先を歩いた尊敬する裕子先生の歩まれた道を私も歩んでまいります。裕子先生、ありがとうございました。これからもお見守りください。
春の陽気と満開の桜の中、西名古屋支部卒業コンサートが4月4日に行われました。
まだまだコロナの状況が続く中ですが、予防処置をしたうえで関係者のみでの開催となりました。
昨年も同じ時期に行う予定でしたが中止となり、今回は2年ぶりの開催とあって昨年出演できなかった生徒も今年の生徒に加わってステージで演奏しました。
皆久しぶりのステージでの演奏とあって程よい緊張感の中イキイキと演奏していました。
普段はその年の卒業録音をしていない生徒以外も参加し客席で聴いているのですが、今年は蜜を避けるため客席数の制限を設け関係者以外は参加できないこととなったため、皆が演奏会を共有できるようにするにはどうしたらよいだろうと検討し、当日の演奏を録画し、映像を後日youtubeで配信することになりました。
また、当日参加できなかった生徒も当日の演奏録画に合わせて自宅で演奏した映像を当日の録画に組み入れ編集し、卒業生全員が参加できるよう配慮しました。
参加された皆さん、おめでとうございました。また次のステップに向けて日々おけいこを頑張ってください。
そして来年こそは皆が参加できるようになっていることを願って、、、
鈴木ヴァイオリンをご存じでしょうか?
名古屋で明治20年に創業されたヴァイオリンメーカーです。こちらで作られた楽器をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
長い歴史あるものも時代の流れによって変化していきます。鈴木バイオリンが栄えていた時代から工業技術が進歩し様々な場所で安くよいものが作れるようになった現在、栄枯盛衰は仕方がないことではありますが、どんなに機械や道具が進歩してもそれを操る人間の技術と心は受け継がれなければなりません。
鈴木バイオリンも今現在その状況に向き合っている中で、ヴァイオリンを教える私も生徒もお世話になった楽器たちの生みの親の為に何かできることをと思いこのページに掲載しました。
詳しくは以下のリンクからご覧ください。
鈴木ヴァイオリン campfire
スズキ・メソード創始者の鈴木鎮一氏は鈴木ヴァイオリン創業者の鈴木政吉氏のご子息にあたります。
詳しくは以下の著書からご覧になれます。