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支部行事のご案内と年初のあいさつ

あけましておめでとうございます。2024年がスタートしました。

我々が所属するスズキ・メソード尾張支部(厳密には支部というくくりではなく個人の先生が集まったグループ)では、個人のクラス行事のほかに支部行事として年間に4~5回(4月の年度始まりから次の年の3月の年度末まで)行事を行っています。

その中の一つに5月と10月の半田運動公園野外ステージでのピクニック合奏会。午前中からお昼にかけて行われる屋根付き野外ステージでの合奏会で、青い芝生と空に向かって思いっきり演奏します(3年続けていますが一度も雨で中止となったことはない!)。子供たちも大人も屋外の空気の元、のびのびと楽しい時間を共有し、合奏後はみんなでビニールシートを敷いてお弁当タイム!思い思いにご飯を食べお弁当を交換しお菓子尾も楽しみ、そしてその後は運動公園内のアスレチック公園で全力で遊びます。先生も駆り出されます。とっても辛…楽しい時間です。

そして大きなイベントの一つに8月の支部合奏会が行われます。本会スズキ・メソードでも長野県松本市にて夏期学校という全国から生徒たちが集まり合奏やクラス別レッスンを行うイベントがありますが、支部でも同じように合宿を行います。
昨年は大府愛三文化会館にて一泊二日の合宿を行いました。3歳から大人(73歳!)まで一緒に2日間過ごし同じご飯を食べともにお稽古をします。
夜は大人のための懇親会という名の飲み会が行われ、指導者によるおもしろ過去話で親睦を深めます。もちろんスズキに関する大切なお話を含めてです。

年末のお楽しみとしてクリスマス合奏会を12月に行っています。この合奏会では午前中は上級生のアンサンブル、午後から全員合奏で楽しくおけいこをし、おけいこ後はプレゼント交換会(ビンゴ大会)が行われます。そして毎回先生たちによる特別プレゼント(手作りケーキやパン)が用意され、もらった生徒(特に親)は大変喜んでいます。

そして年明けには恒例の教本マラソン、1巻最初の曲のキラキラ星からスタートし自分が弾ける曲までを延々弾き続けるという合奏会です。上級生になればなるほど弾ける曲が増えるので大変ですが、弾き終えた後の顔はみな晴れ晴れとしています。先生ももちろん最後まで付き合いますよ!(次の日つらい…)

そして年度末の3月または4月には、卒業記念コンサートが行われます。卒業記念といっても支部やバイオリンを卒業するわけではなく、教本を進めていくうちに節目のところで特定の曲を録音し本部に提出し評価をもらうというシステムがスズキ・メソードにはあり、それを卒業録音とよんでいます。
その卒業録音を昨年の12月までに行った生徒が発表する場として年度末に卒業コンサートを設けており、また卒業録音をしていない生徒も次回は録音をとれるようにという意欲づくりも含まれます。
このコンサートではお互いに称えあい、そして指導者にとっても生徒たちの一年間の成長を実感する場でもあります。

以上が支部行事の内容ですが、そのほかにももちろんクラスの行事であるクラスコンサートや合奏会、そして本会のイベントや他地区の有志の指導者による合宿など様々なイベントを行っており、その主役はいつでも子供たちであり、我々指導者は子供たちが生き生きと活躍し成長できる道しるべとなり手助けをする存在です。我々指導者も過去には子供たちと同じようにスズキ・メソードで育ちました。

この道を絶やすことなく次の世代につなげていくことが使命と感じ、今後も邁進してまいります。

夏の思い出(スズキの行事とクラス行事と自分のこと)

 今年7月28日(金)~31日(月)の期間、長野県松本市まつもと市民芸術館にてスズキ・メソードが主催する夏期学校が4年ぶりに対面開催されました。
今年で72回目を迎えた夏期学校は、コロナの制限もだいぶ解除されたとはいえ、やはりまだ規模を縮小せざるを得ず現地では人数制限を設け、現地に参加しない・できない生徒のためにzoom参加も併設し開催されました。
 私も指導者としてずっと対面で参加できることを待ち望んでいたので、現地参加をし直接肌で松本の夏期学校を感じてきました。
 やはり大勢の子供たちの奏でる音の渦を肌で感じることは何にも代えがたいとても大切で貴重な体験だとしみじみ感じました。ステージ上に並んだ小さな子たちが一生懸命弾く音のエネルギー、上級生たちの繊細な音使いや音色、そしてコンサートに出演した子供たちの輝かしい演奏、どれもこれもとても大切なものをみなと共有できた時間でした。
来年もぜひ現地で参加できることを願って毎日のレッスンに向き合います。
 詳しくはスズキ・メソードホームページのマンスリースズキにてご覧ください。

 さて夏期学校が終わったのもつかの間に行われた尾張支部合同合宿、今年も昨年同様に大府市愛三文化会館にて8月6日(日)、7日(月)の2日間行われました。
 昨年に引き続きということでコロナ対策をきちんとしたうえで皆が気持ちよく過ごせるようお互いに配慮しあい、だけどたくさんお稽古して楽しく過ごす2日間となりました。
 お稽古はもちろんしっかり朝から晩まで、その後は各部屋で大きい子も小さい子も一緒になってお泊り、次の日も朝からしっかりおけいこ、でもちょっと眠そう…昨日の夜は少し夜更かししちゃったかな?
 午後からはお楽しみ会にてチームに分かれてゲーム大会!今年も伊藤先生組と大野先生組に分かれて対抗試合!勝者は…伊藤先生チームでした!やったね。
 一番盛り上がったゲームは出題された一茶の俳句を絵を書いて皆に伝えるゲーム、先生たちの面白おかしい?絵に子供たち大爆笑と大盛り上がり!先生はちょっと恥ずかしいんだけどね。
 ゲームの後は最後のプログラム、成果発表演奏。それぞれ少し緊張した面持ちでこの2日間で学んだことやたくさんお稽古して上手になったこと、心を込めて演奏していました。
 子供たちの最後の曲の演奏が終わり、我々指導者もこの合宿を通して子供たちがまた成長したことを実感しちょっと感動、顔には出しませんが。
 来年も今年のような合宿ができることを願い解散となりました。

 最後に、夏の行事が終わっての締めくくりは個人的な話しで終わります。
こちらも4年ぶりに参加したのですが、コロナ前まではほぼ毎年上っていた燕岳登山と燕山荘での演奏会に今年は参加できました。
 4年ぶりの山登り、なまった体はちゃんということを聞いて登頂できるのだろうかという不安はありましたが、燕山荘ガイドの方と皆の楽しい会話で無事燕山荘に到着することができました。
 燕山荘では2020年コロナが蔓延し始めた年の山荘のオープンは行わず、2021年になってようやく人数制限と徹底した感染対策で山荘の開業を行い、またその年の演奏会もディナーショウ形式で少人数にて行われました。2022年も同様に少し人数制限を緩和して行いました。この間の演奏者は県をまたいでの感染を防ぐために長野県在住者で演奏していました。
 今年に入りようやく規制も緩和され、私も登れることができるようになり4年ぶりの参加となりました。山の美しさと新鮮な空気に心身ともにリフレッシュでき、次なる仕事に向かう準備ができました。
 燕山荘での演奏など詳しくは燕山荘ブログ(赤沼オーナー)をご覧ください。 

鈴木 鎮一 著書「幼児の才能教育」より

私のバイオリンの指導

 まず、お母さんが子供を連れてバイオリンを習わせたいとやってきます。その時、私たち指導者は、お母さんに才能教育の本を読んでもらって、お母さんによく理解していただきます。
すぐには子供のレッスンを始めません。まずお母さんに家庭での良い助手になってもらうために、最初のキラキラ星を弾けるよう指導いたします。そして子供さんにはキラキラ星のレコードを毎日家庭でかけて聞かせます。

 親が最初の曲が弾けるようになるまで、子供にはバイオリンを弾かせない。このねらいは非常に重要な意味を持っているのです。

というのは、親が子供にバイオリンをやらせたいと思っても、三つや四つの子供には、バイオリンのお稽古をしたい、などという気はまるでないからです。

 そこで重要なことは、子供が無意識のうちに「自分もやりたい」という気持ちを起こすように仕向けることです。
ですから手始めに最初に習う曲を家で毎日聞かせ、またレッスン日に子供を連れて行ってほかの子供たちの弾いているところにおいておく。そういう環境を子供に与えるわけです。それにお母さんが自分にこそふさわしいような小さなバイオリンをもって教室で弾くし、家でも弾いている。

 そうしているうちに子供も自然にやってみたくなる。バイオリンをお母さんから取り上げて自分も“遊びたい”と思い始めます。

 もう曲のメロディーも知っている。他の子供たちも弾いている。自分も弾きたい(遊びたい)。という心がだんだん育ってきます。そういう条件を作っておいてから、つぎのような順序でレッスンへスタートするのです。

「あなたもバイオリンが弾きたいの?」
「うん」
「よくおけいこする?」
「うん」
「それでは、こんどから先生にお願いしてあげましょう」

 これが私の言う準備の時期です。

 気短なお母さんは、すぐにでも子度に習わせたいとお思いになられるでしょうが、最初からやる気になっている子供と、いやいや押し付けられている子供とではレッスンの進み方がまるで違ってきます。一か月、二か月遅れて出発したとしても、あとで半年も一年も大きな差が出てまいります。

 遊ぶ楽しさで始めさせ、遊ぶ楽しさで正しいほうへ導いていく、・・・幼児の教育は、なにごとによらずここからなされねばなりません。親や先生が“教育”だと四角張ったときに、とたんに子供はゆがみます。まずやる心を育て、そして能力を身につけさせていく、これが指導のコツでございます。

急ぐな休むな

 それからもう一つご注意しておきたいことは、親の競争心であります。
よその子供の進んでいるのを見ると、とかくお母さんたちはむきになって子供に勉強を強いがちですが、これは親だけの考えであって子供には関係のないことです。
最初は子供の集中力のある間、たとえ三分間よりお稽古しなかったとしても、一日に三回やれば九分したことになります。こうして少しずつ集中力を長くしてゆくわけです。

 「急ぐな、休むな」というのが、私のモットーでございます。

 手中力のなくなった子供をいくらやらせようとしても、成果はけっして上がりません。そればかりか、お母さんの小言が多くなるでしょうし、子供は子供で反抗を示すでしょうし、お互いにしこりが残って明日のレッスンもまた不愉快な気持ちで始まることになります。
これとは反対に子供の心理をよく心得ているお母さんは、この辺の駆け引きが上手で、その日のレッスンが目的に達したころを見計らって、「もう今日は終わりにしましょう」と先手を打つのです。すると子供はまだやりたがりますが、そのやりたい気持ちを次の日まで心に残しておくわけです。

ほめて自信をもたせる

 子供を叱りつけてやらせるのと、ほめてやらせるのとでは、子供に与える心理状態はまるで正反対です。叱られている子供は自信を無くしますし、やる意欲もなくなります。

ほめられると自信もついてきますし、励みにもなります。しかしこのほめ方も下手にやると、子供は敏感ですからすぐ噓がばれてしまってかえって逆効果になってしまいます。

鈴木先生は褒め上手だとあたりのひとからよく言われますが、私は故意に褒めるようなことは一度も致しません。またどんなに下手でも「だめだ」といったこともありません。

 中略

 お母さんたちは、とかく悪いところを直そうということばかりにとらわれていらっしゃるから小言も多くなるわけです。いいところを伸ばそうということだと、もう少しのんびりしていいと思います。要は少しずつでも能力が育てばいいわけですから。急がず休まず子供の成長を見守る冷静さと客観性を持つことだと思います。

導きて索かず

 いまから三千年も昔の中国の本に「礼記」というのがあります。そしてその中に教育の方法として“導きて索かず“ということが書いてあります。実にいい言葉だと私は思っています。

導きてひかず、すなわち導いて、しかも無理に引っ張ってはならないと教えているのです。三千年も昔にこのような素晴らしい心理が示されているのであります。

植物の苗がすくすくと伸びかけてきたとき、もっと早く伸ばそうと先を引っ張る人はおそらくいないでしょう。そんなことをすればその植物はちぎれてしまってダメになることが分かっているからです。

 それなのに人間の場合は、早く子供に知識を与えようとして、育つ条件をも考えないで、無理やり引っ張る教育を行っております。そして時によると子供が意のままにならないと叱りとばすという見当違いのことをしています。

 教えてしかも育てる、すなわち教育という文字の中には、引っ張るとか叱り飛ばすという意味は含まれていません。そこにはただ育てるという極めて意味深長なうまい文字が使われています。

 教えることはやさしいが、育てることは実に難しいことです。叱れば叱られる才能のほうが育ちますし、これに気が付いて、これから叱ることはやめようと思う人も、叱らなければもっとひどいことになるが一体どうしたらよいか、と途方に暮れる人も出てくるでしょう。

 私の知人の一人があるとき私に、

「あなたが、叱れば叱られる才能が育つと言われるのでやむを得ず叱らないでおいたが、うちの子の場合は始末が悪くこれではどうも仕方がないと思いまして、ある日バーンと大雷を落としてやりました。
そしたらてきめんにきいて、それ以来もうやらなくなりました。やはりたまにはドカンとやったほうが良いと思いますが、どうですか」

というお話でした。それで私は

「あなたのお子さんの場合は、良かったかもしれませんね。しかしそのドカンがもし効果があったとすれば、それはあなたが久しく叱らなかったことが一つ、もう一つはあなたが腹が立って子供さんに向かったのではなく、これではどうにもいけないと考える理性の中にうまく芝居をなすったことが、あるいは子供さんに悪かったという心を強く起こさせたのかもしれませんね。
 しかし、もし子供さんの心に叱られるのが恐ろしくてやらないという心だけでしたら、教育としては一時的な外見だけのものであって、あなたがいなければやっぱりやるのではないでしょうか。子供はなかなか利口ですからね。
 あなたが子供さんを教えるために芝居をなさったのならば、どのようなうまい雷を鳴らしてもいいと私は思います。だが度々その被害を蒙っていて、すでに叱られる才能が立派に育っている子供ほど、芝居の雷が大きくないと一時的な効き目はありませんからね。
 私は教える心、導く心で子供に教えていうるうちは教育の教に当たると思います。したがって子供の中に育った叱られる才能の育ちいかんによっては、その教えからの厳しさの甲乙も仕方のないことだと思います。腹が立った週間から教育ではなくなり、子供とのけんかになりますからね」

とお答えしたことでした。

スズキ・メソード尾張支部 卒業記念コンサート

暖かな春の陽気に包まれて、4月2日に尾張一宮駅7階のシビックホールにて卒業記念コンサートが行われました。

卒業記念というと何かを卒業してお祝いする会?と思われるかもしれませんが、スズキ・メソードでの卒業というのはレッスンカリキュラムが指導曲集全13巻を前期初等科から研究科までの数段階に分けられており、その過程一つずつに決められている課題曲の「録音提出と卒業」を踏まえていくものです。

段階を設けるのはレッスンを受ける生徒に初めから具体的な目標をもってもらい、そこへ向かって一生懸命学び、手に届く目標を一つずつ超えていく喜びと自信を持ってもらうためです。段階ごとの課題曲に到達すると、その曲は一層おけいこを重ねてその演奏を録音して本部に提出します。

全国の指導者の中の担当者がそれを聞いたのちにその過程の卒業証書が生徒に贈られます。

こうしてキラキラ星からメンデルスゾーンのコンチェルトまでの長い段階も、一つずつの課題曲に取り組むうちにやがて到達でき、やがてその努力は全てに通じる高い能力として身に付きます。

卒業コンサートはその過程を卒業できた生徒の努力を称えてお祝いし、お互いにそれを聴き合って勉強する…鈴木ならではのコンサートなのです。

また、卒業コンサートの後にはクラスの仲間とOB・OGも参加しての懇親パーティーが開かれ、懐かしい顔ぶれと昔話に花が咲き、そして現役生と過去に学んだ生徒も一緒にドッペルコンチェルトとキラキラ星変奏曲を演奏し、大いに盛り上がりました。

新年明けましておめでとうございます

 本年も当バイオリン教室はスズキ・メソードの理念のもと、年齢の壁を越えたつながりを持ち、毎日のヴァイオリンのおけいこを通して上達をともに喜び、それを基に育った能力を社会に生かす力を養い、立派な人間形成を目指して活動していきます。宜しくお願い致します。

伊藤クラスコンサート と 03歳児コース名古屋教室

「3歳からの生徒によるヴァイオリンコンサート」

*終了しました

10月16日(日) 中川文化小劇場

開場 13:30  開演 14:00

心を込めて演奏します。多くの方のご来場をお待ちしております。

スズキ・メソード 03歳児コース 名古屋教室

中村公園 レンタルスタジオ・フィオリーレにて10月より後期コース開催

9月27日体験会受講生徒募集中です。10月からのコース開始後もレッスン体験可能です。

大府市北山小学校でのヴァイオリン体験授業

6月から7月にかけて大府市の北山小学校にて4回にわたり行われたヴァイオリン体験授業が無事終わりました。
中日新聞に記事が掲載され、知多メディアスやNHK東海版にて放映されました。
以下リンクより記事と放映の様子がご覧いただけます。

中日新聞 知多版 6月25日記事

知多メディアス 6/29放映

NHK東海 8月2日


スズキ・メソード創始者 鈴木 鎮一氏 著書 「奏法の哲学」より

生まれた時から音楽の才能教育をスタートすることによって、
どの子供にも音楽的感覚、音楽的能力を育てることが可能であること、
乳幼児期の素晴らしい人間の順応能力の発揮の問題、
幼少時代の順応能力のいかに優れたものであるかについて深く反省しなければならないこと、
限り知らぬ子供に与えられた人間としての教育の可能性、
幼少時代にいかに精神薄弱者の姿へまでも子供たちは能力の本質を損なわれるものかということ、
十人の乳児を十人供精神薄弱者のような人間に育てることが可能であるとともに、
その反対も可能であること、
耳が良いからこそ音楽的音痴となること、
などについて実証し実践してきたわけです。



地上の総ての子供は、
皆人間として高い教育の可能性を与えられて生まれてきていることを実証しているのであり、
また同時に、才能は生まれつきのものではなく、
生まれて後に育て伸ばされるものであるということを実証しているのです。



「総べての日本の子供たちが、日本語を立派に話している」
この事実は、
母国語を自由に話す世界の総べての子供達は、
実に皆健全な頭脳の持ち主であり、
育て損なわない限り皆立派に人間としての高い能力へ育つものであるということを
実証する一つの例だとして考えていただきたいのです。
音楽だけではないのです。
教育は生まれた日から始まります。
そして育て損なうのも生まれた日からです。


人類にとって最も需要なことは、
すべての子供を本当に美しい心の、好ましい能力の人間に育てることでしょう。
私は皆様の人類に対する尊い使命を持ったお仕事に対して、
心からの尊敬を捧げ、その立派な成果を祈ってやみません。